自凝雫塩(おのころしずくしお)

淡路島の地で

塩を作る人、

末澤さん。

 

彼の目が何よりすごい。

野生と愛に溢れている。

 

『人を喜ばせるものを作りたい。』

彼は何度もそう言った。

 

塩窯の前で一昼夜火の番をし、塩を作り続ける。

私はなぜだかとても荘厳な気持ちになった。

 

そして人の身体には太古の海と同じ塩分濃度の体液があるという話を彼は教えてくれた。

”実は海っていうのは現代どんどん濃くなってきている。今は塩分濃度が3.2%くらい、でも大昔太古の海は塩分濃度が0.8パーセントくらい。その時に生命が誕生したと言われている。結局僕が作りたいものは大昔の海水に近いもの。やっぱり人体が欲しがるのは0.8%の海水のはずなんですよ。魚の体液も今やっぱりみてみると、塩分濃度0.8%とかなんですよ。原始の生物からどんどん進化をして、海で生物が生まれて、弱肉強食が生まれて、(生物が)川に流れますよね。川に行ったらミネラル分がないから、骨っていうミネラルの貯蔵庫を作って、そうして川でも生きられるようになった。それから両生類になって陸に上がって、で今人間になった。それまでずっと(生物は)原始の海を体の中に持っている。それをちゃんとなんとか現代で再現じゃないですけど、必要なものを作りたい。そういう思いがあって。じゃあ今の海水と何が違うのかっていうと、やっぱり今のままだとミネラル分が多すぎる。だから、全部煮詰めた塩は苦いと感じる。だから一番美味しく感じる塩分濃度というのは薄い、適度にミネラルを含んだ塩の方が美味しいと感じると思っていて、だからあんまりうちは煮詰め過ぎない塩を作っている。”

 

私はこの塩が本当に美味しいと感じる。

本当に美味しいのだ。

美味しい、と思う背景にはもしかしたら、本当に身体が素直に欲しているものだからなのかもしれない。

本当に美味しいものに出会った時の喜びは代え難く、私は何人にこの塩をプレゼントしたり

食べさせ歩いたかわからない。

そして、末澤さんが特別に最後に手渡してくれた、商品にはあまりしていない、大きな結晶の塩を

私はたまに眺めては有り難く食べている。

 

 

万物は循環している。

水という山の恵みが、川から海へ。

水の行き着くところに塩あり。

 

おのころとは古事記に描かれている話で、

「イザナギとイザナミが国生みの際に、天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった」という。(Wikipedia 出典)

この島が淡路島といわれている。

 

 

始まりの地であり着地点である。

あ から わ へ。

あ から わ への 路。

淡路島。

 

ここから始まるわたし達の旅。

塩の旅を始めよう。

(写真は2017年11月に見学した際に撮影したものです。)